フィリピンの田舎 ミンダナオでの起業(副業)日記

40歳代後半、バナナビジネスでフィリピン ミンダナオの田舎で起業(副業)し、不毛なサラリーマン生活からの脱出を企てる

ミンダナオ その11 会社記念パーティーで泣いてしまった話

皆さんこんばんは。Lalamy_3000です。

すでに日本に帰国してしまっていますが、

10/21(月)の夕刻から開催した会社記念

パーティーの詳細を報告します。

 

最初に述べておきますが、マジで泣いて

しまいました‼️

残念ながら、私が泣いている写真はありません

(・ω・)

 

では順にお伝えします。

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夕刻16時を開始としましたが、フィリピンタイム

ということもあり、実際は16:30より開始。

 

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準備中から酒を飲んでビデオケで熱唱している

フィリピン人。まぁこんなもんですわ。

 

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こんな演出もされていました。

今回はミンダナオからビコール・マニラへの

バナナ買付け・搬送・販売が100回に

及び、これを記念に社員とその家族をパーティー

へ招待。

 

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メインディッシュが運ばれてきました。

 

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豚の丸焼きレチョンです。

総勢80名程度になったので、3頭をオーダー

社員は20名程度なのに....

関係ない輩が忍びこんでる匂いがするぞ👊

 

メインディッシュの前に、社長の私から

社員と家族に対して英語でスピーチ

・こんばんは皆さん。元気ですか?

・最初に、私のことを知らない人も多いので、

     自己紹介をします。

・年齢は恥ずかしいので言いません。

・私は日本である会社の社員として働いています。

・私は日本の仕事をずっと続けたいとは思って

 いません。楽しくないからです。

・よって、私はのこのビジネスに情熱を注いで

 います。

 

・自己紹介はこれくらいにして、本題に入ります。

・今日は、私から皆さんと皆さんを支え続け

 てきた家族の方に御礼の言葉を述べたくて、

 記念パーティーを企画しました。

・2017年7月に、ビジネスパートナーのWilmerの

 力を借りて、このビジネスを起業。

・最初は全く予想した収益には届かず、辛い日々を

 過ごしていました。

・皆さんもさぞかし不安であったと思います。

 でも、皆さんは私についてきてくれました。

・私は知っています。皆さんが炎天下や激しい雨が

 降る中でも、30kgのバナナを詰めた木箱を

 抱えて手作業でトラックに何百箱と運んで

 いたことを。

・皆さんのそういう姿を見て、私も力をもらい

 ました。

・そして今では会社はやや起動に乗って

 きました。顧客もついてきました。

 ここまで力を貸してくれた皆さんとその家族に

 感謝します。ありがとうございました。

・我々はもっと大きくなります。まずはこの

 ミンダナオでNo.1を目指しましょう。

 

拍手👏パチパチパチ

 

その後、予期せぬことが起きました。

私のスピーチは当初よりプログラムに組み込ま

れていましたが、次に、社員代表の返答スピーチ

がありました。

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・Sir(上司に対しての呼び名)、我々こそあなたに

 感謝の言葉を述べたい。

・この地域は見てのとおり、とても田舎です。

 条件の良い雇用など皆無です。

・家族含め、我々はとても貧しい生活を送って

 いました。

・食事が食べられないぐらい貧しい時もあり

 ました。

・ご飯に塩だけで、おかずが無いことありました。

・あなたは、我々に条件の良いレギュラーワーク

 を与えてくれました。

・我々はやっと、底辺から脱出することができ

 ました。

・私たちは、あなたが昨年の12月に、我々を食事

 に招待して、私たちに述べた言葉を決して忘れ

 ません。

・あなたは私たちに、「貧困の連鎖を断ち切れ。

   そのためには教育だ。子供たちを大学に行か

 せろ。あなた達の代でこの負の連鎖を断ち

 切るんだ」

 

•以前、私は中国系企業で働いたことがあります。

 仕事中に怪我をしてしまいました。

•何の補償はありませんでした。治療費も全額

  自己負担。2週間仕事ができず、その間の

  収入は  無し。奴隷のような状態でした。

•でもあになたは違いました。3ヶ月前に仕事中に
  足を怪我して、5針縫いました。

  あなたは日本にいながら、私を病院へ連れていき

   治療を受けさせる指示と、治療費の全額会社負担、

 1週間働けませんでしたが、一部、生活費を支援

 してくれました。

•私は以前より日本が好きでしたが、ますます好きに.
 なりました。

•私はもっとこの会社に貢献したいです。
  私たちをリードしてください。

 

私は顔を伏せて泣いてしまいました。

思い悩む日々に、私に温かい言葉をかけてくれる

人など誰もいません。社長とは孤独な役職だと

感じていました。

でも、社員の雇用を守らねばという思いも強く持っていました。

こういう形で心を揺さぶられる言葉を投げかけ

られて、なんというか、報われた感がしました。

これからも、社員の雇用を維持していきたいと思います。

 

さて、しんみりした話はこれくらいにして、豚の丸焼きの話を。

 

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私が入刀。なんか緊張しました。結構やわらかいので、ズズっと切れます。

 

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皮がうまいです。

 

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どんどん皮が剥がされ、奪われていきます。

 

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ゲームの始まり

 

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お尻につけた風船を、後ろの人が腰を振って

割ります。

フィリピンはおかまちゃんが多いので、数人、

おかまちゃんが紛れ込んでおり、セクシーな声を

発していました。


こんなゲームやビデオケを繰り返し、

夜23:00頃に終了。

疲れたけど楽しかったな〜

 

ではまた✋