フィリピンの田舎 ミンダナオでの起業(副業)日記

40歳代後半、バナナビジネスでフィリピン ミンダナオの田舎で起業(副業)し、不毛なサラリーマン生活からの脱出を企てる

起業1年を振り返って その①

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酒を飲みながらのブログ作成。ちょっといかげん内容に....

ミンダナオから帰国してここ1週間、本業のリーマンが忙しく、ブログを触れなかった。いかんいかん。

さて、2017年7月よりミンダナオ、パナボでビジネスを立ち上げ、約1年がたった。

今回は回顧録その①として、重要な決断であった、ファミリ-ビジネスについて
メモを残しておきたい。

ずっとサラリーマン生活。現在47才。40才を過ぎた頃より、アジア方面、特にフィリピンへの業務出張を機に、自分の中で何かが変わり始めた。つまり、残りの自分の人生、自分らしく生きていきたいという思いが強くなった。

色々な思いが交錯する中、なかなか実直なフィリピン人、Wに出会った。

1年程度、友人として付き合った後、彼が10年程度前に雇われて従事していたフルーツ買い付け・搬送・販売ビジネスを再度やってみないかこちらから提案し、実行することとした。
有人としてつきあった1年間、彼のファミリーも観察させてもらった。

長女が日本人と結婚していた。
その日本人は仕事の関係上、絶えず日本・フィリピン以外の国で仕事をしている。私はまだ一度もお会いしたことはない。55歳くらいか。

お金は潤沢にあるだろう。
そういう長女に対して、貧しい兄弟たちは、意外にも普通に接していた。
いかにも自然。この状況は起業にはちょうどよかった。
信頼できる兄弟たちであった。

起業にあたり、10年経過し変化した現在のマーケットの中でも、ビジネスとして成り立つのか、1ヶ月程度調査・分析して起業に踏み切った。

重要なポイントと考えのは、「ファミリービジネス」。これは当時、相当悩み考えた上で決断した。
1年経った現在、当初想定していた状況と、ほぼ同じ状況となっている。
メリット・デメリットがある。

メリットはフィリピン人ならではの家族内の強い結びつき。
強いとは思っていたが、想像以上だった。

起業にあたり、先ずは軌道に乗せることを最重要視し、結果としてこのファミリーの絆を利用させてもらった。

起業した諸先輩方の状況を見ていると、成功の機ありと起業しても、なかなかうまくいっていない状況も目にする。色々と事前に勉強させてもらった。
フィリピンでビジネスをさせてもらう。私の本業はサラリーマン。フィリピンに常駐できない。信頼できるパートナーが不可欠。

Wは8人兄弟。男5名、女性3名、3男にあたる。
現在、この兄弟の男3名と女性1名が我々のビジネスに関係している。

この4名が力を合わせてくれた。Wはこの4名の中でも実直な性格から、とても慕われ信頼されている。
この4名の周辺に親戚もいる訳で、彼らも貴重な労働力となっている。
顔見知りが参加するビジネス。ビジネスに向かない人間は参入させないことが可能となり、ある程度はリスクを回避できる。

他の兄弟2名、長男・次男。この2名はクセがある。
W含め、我々のビジネス関係者はこの2名を嫌っている。
怠け者で感情的で、物事に否定的だからだ。

私はあまり疎外することなく、適度に付き合っていくようアドヴァイスしている。

デメリットは今後のビジネス拡大における、組織構築の難しさ。
マネージメントできる人間は限られている。頭数が足りない。外から連れてくるしかない。
しかし、ファミリービジネスで起業し、当事者のファミリー達は
外部から登用される人材を面白くないだろう。

今は小規模のトラック2台のマネージメント。現在の陣容でできる。3台、4台となると、そうはいかない。
前回、この点について彼らとミーティングを実施した。
非常に安易に考えている。対処療法的というか。さて、どうしたものか。

物は金で買えるが、人材、とりわけ、マネージメントができる人材は
金だけでなく、育成に時間がかかる。

色々な選択肢・フォーメーションを考えている。
どう組織ピラミッドを構築するか? 悩むがこれがまた楽しい。
もっと悩み抜いて、決断したい。
悩み抜くと、その思いはゆるぎない覚悟に変わるはず。